ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来 Kindle版

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来 Kindle版

「サピエンス全史」に続いて読了.進化論が神を殺し,サピエンスはいま,人間至上主義の価値観の中で生きている.この価値観は資本主義と手を組んで科学を発展させたが,生物学によれば,サピエンスを含む生物はすべてアルゴリズムに他ならないことが示されてしまった.

人間至上主義がよりどころとする主観的経験と,生物=アルゴリズムは相容れないと皆が考えている一方,科学はますます生物=アルゴリズム説を裏付ける.主観=自己の存在は否定され続け,分割不可能な「私」の存在を起点とする人間至上主義を破壊し始めている.「私のことは私が一番分かっている」という主張は必ずしも正しくなりつつある.一面においては,AIのほうが私を理解しているという状況が至るところで起き始めているのだ.「私」は分割可能で,分割されてしまえば,無機的な知能がサピエンスを部分的に凌駕し,総体として無機的な知能に判断を委ねる近未来があってもおかしくない.

「私」が分割できる可能性が示された以上,無機的な知能が意識や主観を持てないという理由で有機的な知能に劣るという主張は成立しない.したがって,人間至上主義は,他の「宗教」に文明の推進力の座を引き渡す可能性が高い.著者は「データ教」だと仮説を立てている.株式市場も政体も,データを効率よくできるシステムが社会に適応し生き残る.システムの良し悪しではなく,すべては効率の良いものが生き残るのだ.有機的な生物と同様の原理だと言える.

「ホモデウス」は,生物学的な生存に対する脅威を排除し,自然法則を超えて自らを進化させる科学を手に入れたサピエンスが,不死と幸福と神性を手に入れることを目指すだろうという予測から話がスタートする.不死と神性はそうだろう.一方,ホモデウスへの解脱は小乗的で,しかもこの列車は発展の最終列車だとしたら,データ教が導く社会は幸福だと言えるだろうか.

この点に関しては,著者は否定的なようである.本書を通じて積み上げた論理の先にあるデータ教を否定するには,そもそもの仮定を否定するしかない.つまり,生物=アルゴリズム仮説は間違っていないのか,よく検証する必要はあるだろう,と言っている.何しろ,科学の歴史上,否定された仮説は少なくないのだ.無知を認めることができるのが科学である.間違いがわかったら,より妥当な,別の仮説が取って代わるだけなのだ.その新たな仮説すら,完全である保証はない.

何しろ,主観的経験を否定することは万人にとって難しいことである.生物=アルゴリズム仮説が否定されてほしいと思う人が大半ではないだろうか.だが,学術的な立場でこれを否定することは,アカデミアでは死を意味するので,そのような論文は今は1つとして存在しない.この仮説を否定する突破口は皆目わからない.