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国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)
佐藤 優
新潮社
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西村検事との国策調査についての議論が面白い。

国策調査とは「時代のけじめ」。誰かを罰することで国家の転換を図るための手法だと理解した。鈴木宗男と著者が罰せられた事件は、ケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線(新自由主義)へ、同時に地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換のために必要だった。特に後者のために、橋本龍太郎や森善朗ではなく、鈴木宗男でなければならなかったというのが著者の意見。転換とは逆向するという理由での断罪は無理なので、鈴木宗男を「政治権力をカネに替える腐敗政治家」として断罪するような手法が国策調査だということ。そのためには、法律のハードルはマスコミの力を最大活用し、幾らでも下げる。幾らでも下げるので、有力者であれば誰でもが陥いる罠が生じる。これは法の解釈の範囲であり、マスコミが導出する民意であるから、冤罪とは異なる、というのが西村検事の意見。

この事件以前にも、山本譲司(民主党)の秘書給与流用(これでカツラを買ったというオモシロオカシイ尾ひれ付き)で、政治には金がかかるという常識を世の中が認めなくなり、高橋治則(イ・アイ・イ・インターナショナル代表)の大蔵官僚過剰接待(ノーパンしゃぶしゃぶ)で、大蔵省の機能転換が行われたり。

確かに、国家の転換点と、マスコミの機能が活用された象徴的な事件は同期しており、前記の3事例を見れば、国策調査=「時代のけじめ」説には一定の説得力がある。だが同期と因果は異なる。国策調査が「時代のけじめ」のために行われるのか、「時代のけじめ」が必要となったときに、誰かが主体となって国策調査を行うのかは判然としない。国策調査が時代を転換するのか、時代が国策調査を必要とするのか、区別しようがない。小泉純一郎が時代を転換したのか、時代が小泉純一郎を必要としたのか、と言えばよいだろうか。

後者がヒーロー待望的で根拠なく演繹的(=アプリオリ)なのに比べれば、前者はヒーロー不要で帰納的だと言えそうだ。だが、因果を論証できないのはどちらも同じで、どちらも面白いひとつの見方としか言えない。とすれば、今できることは、あらゆる証言が公開されるまで、判断することなく、時折ここに書かれた主張を思いだすことだろう。巻末の解説の姿勢と同じだ。二十数年後に全てオープンになるのを待ちたい。

裁判は人の業。歴史は神の業。この意味で、歴史に残すことに集中して裁判を戦った著者の行動は敬意に値する。「罠」に陥ったとき、何を想えばよいかは、本書のタイトルにつながったという、次の言葉を思い出したい。

旧約聖書「コヘレトの言葉(伝道の書)」第9章11-12節

太陽の下、再び私は見た。
足の速い者が競争に、強い者が戦いに
必ずしも勝つとはいえない。
知恵があるといってパンにありつくのでも
聡明だからといって富を得るのでも
知識があるといって好意をもたれるのでもない。
時と機会はだれにでも臨むが
人間がその時を知らないだけだ。
魚が運悪く網にかかったり
鳥が罠にかかったりするように
人間が突然不運に見舞われ、罠にかかる。